2008年12月23日

ポリセクシュアル・ラヴ―ひとつではない愛のかたち

本書のタイトルである「ポリセクシュアル」という言葉が表すように、本書の内容は、対立する2つの性の間に存在する、多様な要素を取り上げることが特徴になっています。シーメールをテーマにした章では、男らしさ、女らしさという文化的側面と、肉体的差異、そして、心の性の渾然となった状態を、キムという人物や映画を上手く取り上げながら論じています。

本書を読むことで、純粋な男性・女性というものが実在すると信じてしまうことが、結果として人間の性をひどく貧しいイメージにしてしまうのでは、と気付かされます。あわせて、「性“別”」としてシッカリと別れているものとしてではなく、変容し、境界の曖昧な領域が存在するという理解は、セクシュアルマイノリティに対する理解を深いものにしてくれると思います。

2008年12月19日

異性愛をめぐる対話

私たち社会の日常のなかで当たり前のこととして省みられることの無い、「人間が異性を好きになること」にスポットを当て、これを「異性愛」という言葉で明示的にあらわし、セクシュアリティに関わる人々の対談を通じてその内実に迫る本です。当たり前と思っていることの中に隠されている矛盾や、問題が明らかになっていくプロセスは注目です。

宮淑子氏の語る「主婦は“家庭内援交”という感覚を持っている」という指摘はショッキングです。と同時に、夫婦という心の繋がりと各々の自分らしさと、夫婦という社会的な枠との齟齬を考え合わせるとき、この家庭内援交という考え方にリアリティを感じもします。

また、丸山氏との対談の中では、学校の授業で「性」という言葉を聞いて思い浮かぶイメージを子供達にきくと「いやらしい言葉」でいっぱいになるという件が出てきます。そして、この理由を尋ねてみると、「そういうもんだとされてきたから」という答えが返ってきたそうです。この事実から、我々の文化の枠というものの強固さが表されているのを見る思いがします。

最後に本書は、こういった“枠(わく)”や“当たり前”も、ある社会的な力で生み出されてきたのであれば、時代が変わればまた新しい“当たり前”が生み出されるはずだとし、現在はその夜明け前なのではないだろうか、という言葉で締めくくっています。

2008年12月15日

私、わたし―ろう者で性同一性障害27歳の心の葛藤

「人工内耳の手術を勧める人の気持ちの底には、聞こえることが当たり前で、聞こえないことは欠陥、という思いがあるような気がします。耳が聞こえないという障害は欠陥なのだから、取り除かれるべきだというわけです」という疑問の声から始まる本書は、ろう者で、かつ性同一性障害をもった著者による、これまでの人生を語るエッセイです。「ありのままであること、それを受けれること」この言葉がとても重く感じられる内容です。

家族全員がろう者という、いわゆるデフファミリーに生まれ育った著者は、幼稚園の頃「自分は違うな」と感じ始めていたそうです。初恋の相手は男の先生でした。ろう者であることと性同一性障害であることの両方を背負いながら進んで行く、そんな著者の十代の様子が、大きな戸惑いの渦として表現されています。そこでは、ろう学校で感じた疑問や気付きが織り交ぜられつつ、現在の著者のルーツを見ることが出来ます。

「今の私が好き」というポジティブな最終章を通じ、自分を開いて行くこと、受け入れることというものの大切さを、ひしひしと感じます。